孔子廟は「孔子廟・山田織太郎碑」保全管理の会の皆様のご厚意によって使わせていただいている場所です。
飯島町の隠れスポット「孔子廟」
田切の「孔子廟」と言われてもさっぱりピンと来ませんよね?
「孔子廟」というのは儒教の創始者である孔子を祀った霊廟のことです。「子曰く~」でおなじみ論語に登場する先生が孔子ですね。
そんな「孔子廟」がなぜ田切にあるのか。
昭和の初めころ、信濃尊孔会の柿木寸鉄さんが孔子廟建設の志を持って建設の土地を考慮していた時、山田織太郎さんとの聞で話がきまり、追引地籍の山田織太郎さん所有の山休に建設されることになった。
初め、孔子廟を中心にして運動場、池、遊園地などを含んだ拡大な構想の公園が設定された。しかし昭和5年5月10日、山田織太郎さんの急逝によって初めの拡大な計画は絶たれて、孔子像と廟堂のみが建設されたのである。
孔子像は、昭和3年太田南梅さんが原型を作り、安部胤斉さんが鋳造したもので髙さ八尺五寸(約三、二メー卜ル)の全漆を施した銅像で有る。
廟堂は五間に六間、瓦は特製の黄色を施したものである。
昭和四年四月十四日に地鎮祭が行われ、昭和十年、廟堂に孔子像が安置された。孔子廟はその後、戦争の時代に入り、手入れされることもなく放置されていて、廟の屋根瓦、壁などの破損が著しくなったので、孔子像を廟外にとり出しておいた所、昭和39年、屑鉄屋の盗難にあって解体されてしまった。
その後柿木寸鉄さんの子息、柿木昌平さんが父の志を継ぎ、孔子像の再建を思い立たれ、昭和53年に新しく原田昌平、清水木由両氏に製作を依頼し、新しく孔子像を鋳造して昭和54年柿木さんより田切区に寄贈され、元の場所から五十メートル程南の所に安置し、昭和55年完成除幕式が行われた。
(飯島町田切の孔子廟より引用)
とのことです。
引用文上部に登場する山田織太郎という人は養蚕などについて大きな功績を残した田切出身の人でいわば田切の偉人とのこと。田切生まれ田切育ちとして知らなかったことが申し訳ない…。
この人の功績を称える石碑も「孔子廟」にあります。
詳しくは「孔子廟・山田織太郎碑」保全管理の会作成のこちらのページを御覧ください。知らない田切の歴史があり、ただ驚いています。
そんな田切の歴史を感じる「孔子廟」は長く手入れもされず放置されていたそうです。
数年前から少しずつ「孔子廟・山田織太郎碑」保全管理の会の皆様が孔子廟の整備を行っており現在のような駐車場や道ができています。
「孔子廟・山田織太郎碑」保全管理の会の活動の様子もこちらのページからご覧いただけます。
新たなMTBスポットとして
いや。なぜそうなった。
ひとえに「孔子廟・山田織太郎碑」保全管理の会のご厚意によるものです。
孔子廟の活用を考えていた会の方が畑でマウンテンバイクを乗り回していた私の姿を見て「孔子廟をつかってくれないか」と声をかけていただいた次第です。
その後1140MTBメンバーとの調整で「ここらへんにこういう道があったら楽しいですね。」
という話があった二週間後には道ができていました。
協力していただいた方の行動と作業の早さに驚くとともに感謝してもしきれません。
自己責任で使うことを条件にMTBで走ることを快諾していただいています。道はまだまだ整備途中です。安全に走ってください。
とても素晴らしいフィールドを提供していただいたので1140MTBとしても頑張って盛り上げていこうという気持ちでいます。
来年はこのフィールドで「いいちゃんカップ」ができるかな!?
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